神様から、茶道を習ってみませんか?『尾道茶寮夜咄堂 おすすめは、お抹茶セット五百円(つくも神付き)』

尾道茶寮夜咄堂 おすすめは、お抹茶セット五百円(つくも神付き)

  • 著者:加藤 泰幸
  • 出版社:宝島社
  • 発売日:2016/10/6

2016年、真っ赤に盛り上がった広島。厳島神社や原爆ドームに並ぶ有名スポットのひとつに、千光寺で有名な尾道があります。

さて、今回紹介する小説の舞台は、その尾道。
そして、主人公は茶道嫌いの大学生・若月千尋と、茶道具に宿った「つくも神」です。

茶道嫌いの大学生が茶寮カフェの店主に!

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ちょっと変わったタイトルは、そのまま説明になっています。物語の舞台は、尾道にある茶寮カフェ「夜咄堂」。名物メニューは店主の点てるお抹茶セットで、値段は五百円。そして、夜咄堂の茶器には、つくも神が宿っているのです。

 簡単にあらすじを紹介します。
千尋の父が熱心に経営していた夜咄堂。千尋は、茶道に熱中する父に寂しさを抱いていました。そして、父が亡くなり、家族を遠ざけた茶道を良く思わない千尋は、夜咄堂を売ることにするのです。売却の下見で初めて夜咄堂を訪れた千尋を出迎えたのは、見知らぬ二人組。不法侵入か!? と慌てる千尋に、二人は、自分達は茶道具に宿ったつくも神だと説明します。

つくも神から自分の知らない父の姿を聞き、夜咄堂を訪れた人が心からお茶を楽しむ様子を見て、千尋は売却をためらいます。茶道に好感は持てないが、自分でもやってみたら、ずっと分からなかった父の本心が見えるかもしれない。
そう思った千尋は「大学の学費を稼がないといけないから」と言い訳しながらも、つくも神と一緒に夜咄堂を経営することにするのでした。

夜咄堂のつくも神

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夜咄堂のつくも神は、千尋の父が大切にしていた茶器に宿った精霊のようなもの。見た目はごく普通の人間です。飄々とした中年男のオリベと、生真面目な美少女のヌバタマ、それに野良犬(!)のロビンです。

それぞれ本体の茶器があり、性格や見た目の元になっています。
オリベの本体は、ぐにゃりと歪んでいる緑青色の変わった茶碗です。その見た目通り、オリベも一風変わった風流人。
ヌバタマの本体は、抹茶を入れる「棗」という道具。ヌバタマの美しい黒髪は、この棗の黒漆の光沢から生まれています。
そして、犬のロビンの本体は、「星野焼」の土瓶! 酒を注ぐと夕日のような黄金色になる星野焼のロビンは、楽しいことが大好きな道楽者。
全く性格が違う二人と一匹の、不思議と噛み合う面白い会話は、いろんな茶道具が集まる楽しい茶会のようです。

そんなつくも神たちの使命は、「客をもてなすこと」。人がお茶を楽しむ姿を見るのが何よりの喜びです。そして、夜咄堂に来る人をもてなすべく、店主となった千尋へのスパルタ茶道講座が始まるのでした。

スパルタとはいえ、全くの初心者に教えているので、説明は分かりやすく丁寧! 読んでいると、茶道の作法やマナーが自然に入ってくるので、茶道入門書としてもおすすめです。

「まあ、いいさ」の防波堤

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オリベに指導されながら、千尋が生まれて初めて人前で茶を立てる場面があります。

蓋はどのように取ればよかったのだろうか。それに、仮に蓋を開けたとしても、どこに置けばいいんだろう。茶碗の中に入っている茶巾はなんのために使うのか? そうだ、最初に挨拶をしろとも言われていた気もする。もう、何がなんだかわからない。

パニックになっている千尋。この気持ち、すごく共感できるのではないでしょうか。
でも、茶道の決まりごとの多さには、実は全てに意味があるのです。飲む前にお茶碗を回すのは、綺麗な柄を汚さないため。菓子はお茶を飲む前に食べきるのは、甘みでお茶をより美味しく頂くため。
自分と相手が互いに楽しく心地よい時間を過ごせるように生まれた作法です。
茶道の作法の根っこは、気遣いと思いやり。もてなすには、相手がどんな人で、何を望んでいるかを考えなければならない。自分と相手の間に壁を作っていてはできません。

他人の心に飛び込むこと。千尋が、一番苦手だったことです。
傷つきたくないから、本心に嘘を吐く。こんな経験は、皆さんにあると思います。
もちろん、千尋にも。
実は、千尋にはある辛い過去があります。その経験から、千尋は自分の感情に蓋をし、他人との深い関わりを避けています。

「まあ、いいさ」。
これが千尋の口癖です。
おおらか、明るい。プラスにも感じる響きです。
でも、千尋の根底にあるのは「逃げ」でした。
やる気がから回って失敗してしまったとき。茶道を始めた自分の気持ちがよく分からなくなったとき。ヌバタマに約束のすっぽかしを誤解されたとき。
千尋は、事あるごとに「まあ、いいさ」と呟きます。
この口癖は、千尋が自分を守るための防波堤だったのです。
感情を抑え、願望をあきらめ、他人と距離を取って自分を守ってきた千尋。
そんな千尋が、一歩踏み出す瞬間があります。

ずっと、ずっと怖くて、言いだせなかったこと。
ヌバタマ達との生活が楽しくて、それを失うのが怖くて、黙っていた。
口癖でごまかし、やり過ごし、我慢してきたのだ。
口に出したら、不安が現実になってしまう気もしていた。
けれど……本当は、聞いてほしくて、知ってほしくて、たまらなかったのだ。

正面から千尋の心にぶつかってきたヌバタマを前に、千尋が自分の本心を話します。嫌っていた茶道がきっかけで、自分の感情に向き合ったのです。
本音でぶつかる大切さを知り、茶道の魅力にも気づき始めた千尋は、ヌバタマたちと楽しい日々を過ごします。しかし、ようやく自分を認められるようになった千尋が次にぶつかったのは、「喪失」でした。

ある日千尋に告げられたのは、ひとつの辛い現実。
これまでは嫌なことも黙って受け入れてきた千尋が、「嫌、だな」と、初めて拒否の言葉を口にします。
でも、先に進まなければならない。逃れられない現実に立ち向かう千尋は、果たしてどんな決断をするのでしょうか?

尾道は総合芸術のような街

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この小説の魅力のひとつは、なんといっても尾道あるある! 有名なドーナツ屋に、千光寺下の踏切、ロープウェイ、対岸の島との渡し舟など、聖地巡礼のネタが盛りだくさんです。
 瀬戸内海に面した尾道は、半日もあれば一回りできるほどの小さな街です。しかし、登場人物のオリベの言葉を借りるなら、「人々の生活、歴史、文化の魅力が詰まった総合芸術のような街」。志賀直哉といった文豪たちが居を構えたり、独自に根付いた茶道の流派があったりと、日本文化を存分に感じることができます。最近では、芸術家の街としても有名みたいですね。
 尾道に行ったことのある方はあるあるネタで楽しんで、訪れたことのない方はこの本で街の空気を味わってみてください。

 自分から逃げてきた大学生と、不思議な神様たちの、切なく優しい再生の物語。
 休日の午後にお茶を楽しみながらゆっくりと読みたい、心温まる小説です。

(寄稿:宝島社)

尾道茶寮夜咄堂 おすすめは、お抹茶セット五百円(つくも神付き)

  • 著者:加藤 泰幸
  • 出版社:宝島社
  • 発売日:2016/10/6

モデルプロフィール

mukai_profile
  • 名前:向井悠理
  • 生年月日:1994/2/12
  • 出身地:佐賀県
  • 職業:東京外国語大学
  • 趣味:競技かるた
  • 最近の悩み:朝がつらい

(カメラマン:村井優一郎)

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