【私の幸福論】ビジネスというフィールドで翔る【車椅子の起業家、垣内俊哉さん】

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夢が無いと、つまらない?
ドロップアウトしたら、もう負け組ですか?
結婚出産しないと、人生失敗?
病気や障害があるから、不幸なの?

幸せを考えることは、人生そのものを考えること。

「他人が何に幸せを感じるのか」を知ることは、視野を広げ、自分の人生を見つめ直すきっかけを与えてくれるはず。

生きる意味を見いだせない、幸せがなにかわからないという方、「私の幸福論」に耳を傾けてみませんか。

今回のゲストは、ユニバーサルデザインのコンサルティング会社『株式会社ミライロ』代表取締役の垣内俊哉さんです。

-Profile 垣内俊哉-
株式会社ミライロ 代表取締役社長
日本ユニバーサルマナー協会 代表理事
1989年生まれ、岐阜県中津川市出身。立命館大学経営学部在学中の2010年、(株)ミライロを設立。障害を価値に変える「バリアバリュー」の視点を活かし、企業や自治体、教育機関におけるユニバーサルデザインのコンサルティングを手がける。
2014年には日本を変える100人として「THE100」に選出される。2015年より、日本財団パラリンピックサポートセンターの顧問に就任。

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障害を価値に変える「バリアバリュー」を提唱し、ダイバーシティの実現に向けて、第一線で活躍する垣内俊哉さん。彼のこれまでの半生は、生まれた時から、骨が弱く折れやすくなる「先天性骨形成不全」という病気と共にあります。子どもの頃から車椅子で生活する中で、歩きたいという葛藤を抱え、悩み、自ら命を絶とうとした時もあったといいます。しかし、「それ以上に、沢山の幸せや喜びを感じる瞬間がありました」と笑顔で語る垣内さんの「幸福論」をお聞きしました。

「歩けないからこそ」できること

私が、一般的な人と違うところは、「骨が弱く折れやすい体で生まれてきたこと」。これまで骨折30回、手術10数回と、人生の5分の1は、病室で人生を送ってきました。

元々は「歩きたい」、「障害を克服したい」、「普通になりたい」、そんな思いをずっと抱き続けて、「歩けるようになろう」と一念発起して高校を中退しました。でも、足で歩くことは叶いませんでした。その時、とても浅はかなことなのですが、17歳の6月、10月、12月の3回に渡って、自ら命を絶とうとしました。でも、死ぬことはできず、仕方なく生きるしかありませんでした。

でも、その仕方なく生きる日々の中で、「歩けないからこそできること」に気がつきました。「歩けなくても」ではなく「歩けないからこそ」できること。それを見つけたことで、今、ミライロという会社で、バリアバリューという理念の元、歩けない体の「視点」を、「経験」を、「感性」を新しい価値に変えるべく、奮闘しています。

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ーー「歩けないからこそ見つけた価値」とは?

例えば、世の中には様々な不自由があります。世界人口の10%、日本国内には800万人以上の障害者がいます。日本だけ見てみれば、高齢者は4人に1人で、3300万人もいます。私は、障害者の不自由に気がつきやすい境遇だからこそ、「どういった街や商品が必要か」が見えやすく、考えやすく、伝えやすく、作りやすい立場にあるだろうなと。だからこそ、ビジネスという場で活かせる。それが価値だと感じます。

垣内俊哉さんの幸福論

ーー垣内さんが幸せを感じた瞬間を「⭐(星)」3段階で教えていただきました。

ー【⭐】幸せ度1:成長を見守る幸せ

これはすごく迷ったんですけどね、幸せ度【⭐】は、まず飼っているフェレットの写真をみることです。海外出張が多いので、今は預かってもらってるんですが、週1〜2回定期的に写真を送ってもらっています。

私が動物園に行くと、動物に好かれるんですね。寄ってこられるんです。なぜなら、車椅子に乗っていると、視点が低くなるからです。動物達は私を仲間だと思っているのか、羊やヤギにわーっと寄って来られたことがあります。それから私は動物が好きなんです。

起業してすぐに、彼女と別れたことがきっかけだったのですが、日常生活一人でいるのがあまりにも寂しくて、飼い始めました。名前も、姫っていいます(笑)。もう5〜6年かな。生き物の成長を見守るというのは、ささやかだけど大きな幸せですよね。

ーー【⭐⭐】幸せ度2:彼女と手をつないだ日

私の人生を変えたのは、「人との出会い」でしかないんですが、出会いの中でも、人を信じられるか否かって大きな違いだと思っています。私が、人を信じられるようになったのは当時の彼女の存在でした。

小学校の時も中学校の時も、学校帰りにどこにも遊びに行きませんでした。「迷惑をかけたくない」とか「自分が一緒に行くことで楽しい時間を奪いたくない」という思いがあって、積極的に友達と関わることを避けていたんです。

ですが、高校生の時にお付き合いしていた彼女が、高校1年生の時、「手を繋ぎたい」と言ってきました。もともと、車椅子でデートをする上で手をつなぐことって基本的にはない。私はそれを断りました。それでも彼女は、「繋ぎたい」と言いました。

そして手を繋いで坂道を移動している時、坂道だと私の方が遅れるので「ここからは手を離すよ」と伝えました。でも、彼女は言うんです「車椅子を押すなとは言われたけど、手を引っ張るなとは言われていない」、「付き合っているなら、手を繋ぐことも、当然のことでしょ」と。その時、初めて向き合って受け止めてくれる人の存在を知りました。誰かを信じることができた瞬間でした。

車椅子を変えた時に、嘘偽りなく、「かっこいい」って彼女が言ってくれた日のことも、私のことを好きだと言ってくれたことも、私と手を繋いで嬉しそうにしてくれていたことも、全て私にとっては初めてで、そこから人に対しての抵抗がなくなりました。そして、「私は私の出来ることで人に貢献しよう」と思えるようになりました。今一緒に起業した相方の民野剛郎との関係も同じです。「彼のできないことを私が、私のできないことを彼がやろう」。こういう考えが自然にできるようになったことは、あの時一緒にいてくれた彼女のおかげだと思っています。

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ー【⭐⭐⭐】幸せ度3:誰のために頑張るのかってことが明確になっていること

去年、相方の民野が結婚した時、最上級の幸せを感じました。両親を亡くしていた彼は、創業当時から「早く結婚して、温かい家庭をつくるのが夢」と言っていました。それが私の頑張る理由にもなっていました。25、6歳で結婚するまでに会社を大きくして、給料を確保できるようにならないと、家を借りることも奥さんや子供を養うこともできない。でも現実は優しくなくて、3年目までは全く給料がありませんでした。自分たちが自分たちの身、ましてや家族なんて持てる状態ではなかった状況から、4、5、6年と続けてようやく稼げるようになってきました。そしてついに、民野が結婚することになって……。

思い返せば小学校の時、運動会に出られず、部活動に所属していても公式戦には出られませんでした。それでも今、ビジネスというフィールドにおいては、みんな一致団結して、一つの結果を作っていこうとみんなで走ることができている。幸せだなあと実感した結婚式でした。

ーー自分の活躍出来るフィールドが広がったことが、「幸せ」に繋がったんですね。

それはまず、自己肯定感を持っていることが前提です。自己肯定感があれば、「誰かのために自分の時間を使っていこう」、「誰かのために、自分ができる範囲を広めていこう」と思えます。自分は誰のために生きるのか、誰のために頑張るのかが明確になっていることが幸せに繋がるのだと感じます。

自分のためだけに頑張るには、限界がある

ーー今の私は、幸せになるために“自分のこと”ばかり考えてしまいます

求めるものは経年的に変わっていくものだと思いますよ。私も若い頃はそうでした。例えば、私が何のために起業したかというと、まずは自分のためでしかなかったですね。少し広く考えると、私の病気は明治の先祖からずっと続いていて、弟も車椅子に乗っていますから、家族がもっと暮らしやすいようにという想いが強かった。でも、もっと視野が広がると、世界中に高齢者も障害者もいることに気づけました。頑張る理由が一つずつ一つずつ増えていったことが、私を強くしたと思います。結局、自分のためだけで頑張っている時というのは限界があるので、その限界を超えることができたのは、今こういった形でいろんな出会いがあって視野が広がったからだなと思います。

バリアをバリューに変える

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ーー垣内さんの提案する「バリアバリュー」の考え方で私たちの人生をもっと豊かにするにはどうすればいいですか?

そもそもバリアは障害に限ったことではなく、誰にでもあります。例えば、トラウマやコンプレックスもそうです。バリアはありとあらゆる所にありますが、同じように、人にはどこかに必ず光るものがあるんです。

人と話すのが苦手、仕事が遅い、粘りや落ち着きに欠ける人達がいた時、見方を変えてみたらどうでしょうか。話すのが苦手なら「苦手で誠実さがあるのかもしれない」、仕事が遅いのであれば「人より丁寧に仕事をし、量より質で勝負しているのかもしれない」。また、落ち着きに欠ける人は「目先のことだけではなくて広い視野で何かに取り組んでいるのかもしれない」。よって、ネガティブと思っていることでも、必ずどこかに光る部分「価値」があります。だから、「ネガティブな部分を、マイナスだと決めつけてほしくないな」と強く感じます。

障害(バリア)を武器にしてはいけない

ーー見つけた価値を育て伸ばしていくために何が必要ですか

まず前提として、障害をプラスの価値にはいいですが、武器にはしてはいけないんですね。正しさを押し付けてはいけない。例えば、車椅子に乗っている人が遅刻すると、「駅がバリアフリーじゃないから仕方ないよね」と免罪符になりがちです。だから私は、10分前に到着するスケジュールを組む、バリアフリーのルートを調べるといった色々な準備をします。自分に甘えないために、自分のネガティブな部分を武器にしないために、いろんなことを考え、いろんな準備をして向き合い続けることが大切です。

居心地の悪い場所に敢えて行く

そして、自分の弱みが何なのか、を認識していることも「見つけた価値を育てる」ベースになると思います。自分を知ることができていない人は、自分のどこをどう伸ばせばいいのかもわからないので、そういった意味ではまず自分を知ることも忘れてはいけません。

ーーそれでは、自分のことを理解し、自分の弱みを知るためにはどうしたらいいですか

基本的には、自分の居心地が悪いと感じるところですらも、踏み込んでいくことは必要だと思います。

私は、途中から高校に行かなくなってしまったので、人と話すことが苦手でした。でも、人と話すことが苦手ということは、人と話してみないと認識できないことですよね。

「車椅子で外出しにくいから外出しない」とか「人と話すのが苦手だから話さない」ではない。自分ができない、苦手だと思っている場所にも積極的に足を踏み入れ、その場で過ごす。それが、自分が本当に苦手としていることを認識するキッカケになると思います。

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「失敗は、諦めではなく、一つの『達成』」

ーー「自分は不幸」「幸せになれないかも」と悩む人が多いです。高校時代の垣内さんが「歩けるようになりたい」という思いを諦めた瞬間は、どんな気持ちでしたか?

歩くことを諦めた時には、それなりに潔さがありました。なんで潔さがあったのかというと、「やりきった」という感覚を得ていたからなんですね。

自分が描いた到達点に対して、全力でやったのであれば、達成感が生まれる。「やりきった感覚があるか」どうかで、次の一歩が踏み出せるかが決まります。

それが、諦めではなく一つの達成であるのか否か。諦めというのは、逃げとしての諦めだったりすると、後からマイナスに残る。でもやりきった上での諦めは、潔さや、「ここまでやったんだ」という達成感や自信になると思います。

「登り切った先の景色を見たか」

ーー私は垣内さんみたいに「やりきって諦めた」経験はないです

まだ大学生という若さですから大丈夫ですよ。これからですから。

人生はいくつかの階段の連続です。パッと振り返った時に、「あ、こんなに登ったんだな」と気がつきます。登った景色を見下ろした時に、自分が得てきた何かが見えるはずですから、ふと自分を見返すタイミングが必要ですね。「自分はこんなにもやってきたんだ」という自信と自己肯定感にも繋がります。

出来ないことや弱みを知ることも大切ですが、同じくらい出来ることを数えることも、大切ですよ。今、あなたが実現できていることは、沢山あるはずですから。

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-Profile 垣内俊哉-
株式会社ミライロ 代表取締役社長
日本ユニバーサルマナー協会 代表理事
1989年生まれ、岐阜県中津川市出身。立命館大学経営学部在学中の2010年、(株)ミライロを設立。障害を価値に変える「バリアバリュー」の視点を活かし、企業や自治体、教育機関におけるユニバーサルデザインのコンサルティングを手がける。
2014年には日本を変える100人として「THE100」に選出される。2015年より、日本財団パラリンピックサポートセンターの顧問に就任。

HP(リンク:http://www.mirairo.co.jp/
Facebook(リンク:https://www.facebook.com/MirairoInc/
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