懐かしい町の香りと透明なシロップのかき氷 『海のふた』

海のふた

  • 著者:よしもと ばなな
  • 出版社:中央公論新社
  • 発売日:2006/6

 

幼い頃夏休みになると決まって、家族で海に行った。海のない町で育った私にとって海は、いつも異国情緒たっぷりな潮の香りと味の濃い伸びたラーメン、光を無くした花火の抜け殻すべてがキラキラして目に写った。
確かあの時食べたかき氷は、湿った海の香りがして、とても冷たくて、とりとめのない好奇心が溶けていくような不思議な味だった。うちで作って食べるかき氷とはひとつ格が違う、安物の絶品。

では、この物語に出てくるかき氷の味はどんな味をしているのだろうか。
ふわふわの透明な氷に、甘くて透明なトウキビシロップがたっぷりとかかったかき氷。それはきっと誰もが味わったことのある、特別な人生の味。

故郷で始めた、ちいさなかき氷屋さん

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主人公まりは、故郷を離れ東京で舞台美術の勉強をしていた。都会の生活に疲れたまりは、海に囲まれた故郷に戻ることを決意する。そして「私が本当に誇れるのは、いくら食べてもかき氷を嫌いにならないことくらいだ」とかき氷屋さんを始めることにした。

この物語は、まりがかき氷屋さんを始めたひと夏を回想するように綴られている。
まりは早速、海に近い小さな空き家をリフォームし、かき氷屋さんを始める。頑固な性格のまりは、自分の良いと思ったものだけしか置かないと決めていた。煮詰めて作るトウキビのシロップ、地元のミカンから作ったシロップ、そしてエスプレッソしかメニューがない。お決まりの赤いかき氷がないまりのお店は、お客さんの心をなかなか掴むことが出来なかった。

まりがかき氷屋さんを始めた生まれ育った町にも、異変は起きていた。観光地とし栄えていたはずの場所も今は閑散としていて、シャッター街となってしまった。
大切だった場所、大切だった人たちが少しずつ風景を変えていく。まりは違和感を感じながらも、この街で生きていく決意をする。

はじめちゃんとの出会い

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まりと出会ったことで心が変わっていく女の子がいた。この物語のキーパーソン、はじめちゃんである。かき氷屋さんを始めた最初の夏、まりの母親が親戚から預かることになった女の子。まりとは対照的に、物静かで淡々としているはじめちゃんには心に大きな傷がある。幼い頃にあった火事のせいで体右半分がまだらに黒くなってしまった。その火事の時にはじめちゃんを守ろうとしてくれたおばあちゃんさえも亡くし、行き場を失っていた。時々当時のことを思い出し、突然泣き出すような不安定な雰囲気が彼女にはある。

はじめちゃんはすぐにまりのかき氷屋さんを手伝うようになった。それからすぐに2つの印象的な出来事が起こる。
1つ目は、まりの元カレの訪問である。まりが東京にいた間寂れていくこの街をずっと見ていた元カレは、どこかまりの知っているような彼ではなくなっていた。まりがそう思ってしまっただけなのかもしれない。「この町でこのままこの人といっしょに大人になっていけたら、と思ったこともあったけれど、やっぱり一回外に出てみたくて、そうしたら全てが変わってしまった」ずっと追いかけていた背中が、急に遠くなっていく瞬間の感覚。かき氷を食べて頭がキーンとなったあの瞬間にちょっと似ている。

2つ目は、かき氷屋さんのフランチャイズ展開の話だ。まりのかき氷屋さんに突然やって来た営業マンは、これからの時代を生き抜く為にはフランチャイズ展開が必要だと話す。もちろん、まりは断るのだが価値観や大切なものの違いに戸惑う。
まりが思い描いていたような現実が、この町にはなかった。ただただ変わらないのは、壮大な自然とどこまでも広い海だけ。
それでも、芯を持ち前向きに頑張るまりの姿と、夏を彩る自然にはじめちゃんの傷は少しずつ癒えていく。
そしてまりは、いつも変わらず側にいてくれたはじめちゃんのお陰で前を向くことが出来たのだろう。「人は、人といることでもっともっと大きくなることがある」と。

理想と現実の間で見つけた自分たちの居場所

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「海のふた」。
それは物語の中ではじめちゃんが口ずさんでる曲である。心の傷にふたをするように、海にふたをしに来た。はじめちゃんはまりの隣で新しい居場所を見つけることが出来たのだろうか。

変わっていく景色、変わっていく人たち。変わらない自然。そして好きなこと。それは人それぞれ違う。意地を張りながらも、流されながらも、ひとつひとつ選んでいくまりの人生の選択は、きっと誰もが経験したことのある人生のワンシーンだと思う。

物語の最後でまりはずっとお店に置かないと決めていた、赤いシロップのかき氷をお店に出すことにした。赤いシロップのかき氷は、決意の色をした、深みのある甘い甘いかき氷だったに違いない。

「食べることは生きること」1週間をかけて食べ物にまつわる7冊の本を紹介してきた。どれも違った味をしているが、お口に合いそうな一冊は見つかっただろうか?毎日何気なく口にしている食べ物に、または思い出の中のあの食べ物に、意外にも生き方のヒントが隠れているかもしれない。

海のふた

  • 著者:よしもと ばなな
  • 出版社:中央公論新社
  • 発売日:2006/6

モデルプロフィール

mizutani_profile
  • 名前:水谷琴美
  • 生年月日:1991/9/5
  • 出身地:大阪府
  • 職業:学生 Sacred Heart University
  • 趣味:ゴルフ、絵を描くこと
  • 最近の悩み:日本が恋しいこと
  • Instagram:@kotomimizutani
  • 作品用 Instagram:@hellocoty
  • FB:https://m.facebook.com/hellocoty95

(カメラマン:伊藤広将)

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