特攻兵たちが守ろうとしたもの『なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか』

なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか

  • 著者:鳥濱初代
  • 出版社:致知出版社
  • 発売日:2014/8/22

2016年、8月、私は鹿児島県の「知覧特攻平和会館」にいました。ここは、第二次世界大戦末期、何千人もの兵士が「特攻隊」として出撃した知覧飛行場の跡地です。特攻隊員の遺書や遺品、写真など様々な資料を見ることができます。

「サヨウナラ。オ母サン、オ父サン、トコシエニサヨウナラ」

出撃10分前の「絶筆」。

恋人へ、今は亡き父へ、一度もお母さんと呼べなかった育ての母へ、顔も見た事の無い我が子へ、出撃までの1週間束の間の夫婦生活を送ってくれた妻へ……。
……直筆の遺書を読み始めると、ショーケースに水滴が落ち、みるみる視界がぼやけます。喉の奥が震え、声も思うように出せなくなり、そんな自分に狼狽えました。

とめどなく涙が溢れます。私は、静かに、泣いていました。隣の人も、後ろの人も、泣いていました。苦しくて、悔しくて、切なくて、怒りも湧いて……自分のことでは無いのに、自分のことのように泣いたのは、これまでの人生であの時だけです。

「特攻」をテーマにした本が様々ある中で、今回は『なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか』という一冊をご紹介します。
著者鳥濱初代さんは、「特攻の母」と呼ばれた富屋食堂の女将「鳥濱トメ」のお孫さんにあたります

「必ず死ぬ」ことが命令された特攻隊

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特攻とは「特別攻撃」の略称として用いられる言葉です。真珠湾攻撃の際に結成された小型潜水艦部隊「特別攻撃隊」が由来になっています。

太平洋戦争の開戦、間も無い頃は、「特攻は死ぬ気で挑むもの」、であって「死にに行くもの」ではありませんでした。
しかし、敗戦色が濃くなると、兵力の不足や搭乗員の技術力低下から「大きな成果をあげるには体当たりするしかない」と考えられるようになりました。

特攻隊員は、飛行機に片道分の燃料と重い爆弾を積み、飛び立ちました。特攻は、「お国のために死ぬ作戦」になったのです。彼らは戦死すると「神風(カミカゼ)」として神のように扱われ、遺族には報奨金が与えられました。

特攻によって戦死した特攻隊員は、陸海軍合計で約6000人だと言われています(諸説有り)。飛行機で敵陣に突入する航空特攻には、学徒兵、または予科練出身の1822歳の比較的若い隊員が多数出撃しました。最も若い隊員は17歳でした。

本土最南端にある鹿児島の知覧飛行場からは、数多くの特攻隊員の方が飛び立ちました。知覧飛行場の近くに、富屋食堂があります。 
軍の指定である富屋食堂を切り盛りするのは、鳥濱トメさん。出撃前の最後の数日をともに過ごし、帰らぬ命を見送り続けました。

特攻隊員のお母さん「鳥濱トメ」

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昭和16年、知覧飛行場が完成すると、富屋食堂は軍の指定食堂になり、多くの少年飛行兵が訪れるようになります。誰に対しても分け隔てなく温かく接するトメさんの人柄に、若い兵隊さんたちは、「お母さん」と呼び、慕いました

戦況が悪化した昭和20年、最も沖縄に近い知覧飛行場は特攻隊の出撃基地に選ばれてしまいます。そして散り散りになっていたかつての少年兵たちが、成長した姿で続々と知覧に帰ってきました。

トメさんにとって、嬉しく、そして悲しい再会でした。
トメさんは、終戦まで、来る日も来る日も、特攻隊を見送り続けました。トメさんがよく話していたのが、「ホタルになって帰ってくる」と言って飛び立っていった宮川三郎軍曹とのエピソードです

出撃前夜、宮川さんは、富屋食堂に別れの挨拶にやってきました。そのとき宮川さんは、「今度こそ、どんなことがあっても見事轟沈(ごうちん)させて帰ってくる」とトメさんに言います。
「体当たりすれば命はないのに、宮川さんはどうして『帰ってくる』というのか」 と思ったトメさんは、思わず宮川さんに聞いてしまいました。
すると、宮川さんは窓の外を見て、「ホタルになって帰ってくる。だからホタルがきたら俺だと思って、追っ払わないで受け入れてほしい」と言いました。

翌日宮川さんが話した時間通りに、一匹のホタルが富屋食堂に入ってきました。

「宮川が帰ってきたんだ!」富屋にいた皆が騒然となります。そして、皆でホタルを取り囲み、宮川さんが歌ってほしいと言っていた軍歌『同期の桜』を歌ったのでした。

特攻隊員の死は、「犠牲」ではない。

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トメさんは、「特攻隊員さんたちの死を単なる『犠牲』という言葉で済ましてはいけない」と考えていました。

戦後、特攻隊は「戦争の悲劇」の象徴となりました。多くの人が「犠牲」「犬死に」「若者が無理やり行かされた」と特攻を語りました。戦後、平和の時代を生きる私たちにとって、このように思うのは当然かもしれません。
しかし、出撃の直前まで寄り添い、若き特攻隊員の「最期の言葉」を聞いてきたトメさんは、特攻隊員本人たちが「自分たちが犠牲になる」と思って特攻に身をささげたわけではないことを知っていました

トメさんの孫の初代さんは、こう書いています。

「戦争はよくない」という結論は同じだとしても、「犠牲」という言葉だけを使うと、どこか他人事です。 —中略— 私は、隊員さんたちが命懸けで戦ったからこそ私たちの平和があるのだということをきちんと伝えたいと思うのです。そして「平和のために命を捧げてくれてありがとうございました。私たちは二度と同じ過ちを犯しません。されど隊員さんたちが望まれた世の中、未来はどんな世の中だったのでしょうか?」と問いかけて、今の世の中や私たちの生き方を深く考えてみることの大切さを伝えていきたいのです。

どうか、彼らを忘れないでほしい

戦後、「供養をしないとあの子らが浮かばれない」と思ったトメさんは、雑草の生い茂る飛行場跡の一角に、一本の棒杭を立てました。

戦後貧しい生活を強いられたトメさんにとって、精一杯の墓標でした。毎日足繁く通い、花と水を供える日々。トメさんの話は一本の棒杭は、立派な観音堂になりました。そして知覧特攻平和会館には、特攻平和観音が建てられ、今でもたくさんの人が足を運んでいます。

トメさんは平和の語り部として、「特攻隊員たちがどのように生き、どんな思いで出撃していったのか」をその生涯を閉じるまで語り続けました。

——カミカゼと呼ばれた特攻隊員。飛行機ごと敵に体当たりし、命散らした時、任務が全うされる。

そんな小説みたいな現実味の無い話は、絵空事(えそらごと)に思えます。

しかし、「特攻」はつい71年前、確かに起きていました。

絵に描いたように晴れやかな、青空の日に。

決して犠牲ではなく「役に立ちたい!」「守りたい!」と、それぞれ守りたいものために命を落としていった若者たちが居たことを、心のどこかに留めていただけたらと思います。

参考文献

近現代編纂会『図解特攻のすべて』(山川出版社、2013年)

太平洋戦争研究会『特攻 太平洋戦争の戦場』(河出書房新社、2003年)

なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか

  • 著者:鳥濱初代
  • 出版社:致知出版社
  • 発売日:2014/8/22

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  • 出版社:草思社
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出撃の前夜、特攻隊員の宮川軍曹は「小母ちゃん、死んだらまた小母ちゃんのところへ、ホタルになって帰ってくる」と鳥浜トメに言い残し、鹿児島県知覧基地から出撃していった。その夜、トメの家には本当に一匹のホタルが入ってきた…。大戦末期、軍の指定食堂で特攻隊員たちを親身に世話した鳥浜トメの姿を、娘の礼子が自らの体験を交えつつ語る。戦争の真実の姿がここにある。

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  • 著者:水口 文乃
  • 出版社:新潮社
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モデルプロフィール

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名前:塚本愛梨
生年月日:1989/7/4
出身地:神奈川県
職業:事務
受賞歴:withgirlsスターメンバー、キュレーター
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最近の悩み:欲しいモノがたくさん
Twitter:@airi_tsuka74

(カメラマン:横須賀馨介)

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WRITERこの記事を書いた人

湯川 うらら

本to美女編集長 湯川うらら 麗らかな春の日に生まれました。「一瞬一瞬を全力で」がモットーの、本to美女編集長/インタビュアー/キャトグラファー。著者の半生から学び、登場人物の人生を味わい尽くす……「本」は、人類と共に時代を紡いできました。週1回はブックカフェに通い、気になる本を味見するのが楽しみ。実用書から漫画まで、守備範囲は幅広い。色々な人の話を聞いて、人生を豊かにしたい、誰かを幸せにしたい。 猫の島へ単独潜入するほど、生粋の猫好きで、SNSはネコ写真でいっぱい。一年中もふもふしていたい。