沖縄で戦った少女たち『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』

ひめゆりの塔をめぐる人々の手記

  • 著者:仲宗根 政善
  • 出版社:角川学芸出版; 改版
  • 発売日:1995/3/17

現在の日本領土初の地上戦

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太平洋戦争(当時の大東亜戦争)における「沖縄」は、歴史的に特殊な場所だと言われます。

なぜなら、現在の日本領土で唯一、地上戦が行われたからです

それまでの戦闘は中国、韓国、東南アジアなどが中心でした。日本国内は空襲を受けることはあっても、民間人が戦闘に巻き込まれることはなかったのです。しかし、第二次世界大戦末期、沖縄は、民間人を巻き込んだ激しい戦場となりました
そして、約18万8千人の日本人が亡くなりました(アメリカ人の死者は1万2千人)。これは、当時沖縄に居た人の約4分の1に相当します

自分所属するクラス、会社、サークルなどを想像してみてください。その中で、約4分の1の人は生き残れない。……自分事に置き換えてみると、沖縄戦がいかに壮絶な戦いだったかがわかると思います。

激戦の中、一部の民間人は、日本軍と共に戦うことを志願しました。

特に有名なのが、女子学生たちによって結成された「ひめゆり隊」です。看護訓練を受けた沖縄の女学生約200人によって結成された部隊で、主に戦傷兵士の看護にあたりました。

今回ご紹介する『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』の著者、仲宗根政善(なかそね・せいぜん)さんは、引率教官として、ひめゆり隊の女学生たちと共に沖縄で戦いました

そして、戦後、生き残ったひめゆり隊の少女たちの手記をまとめ、一冊の本にしました。400ページ以上にわたる手記一文一文から、彼女たちが受けた苦しみ、悲しみ、平和への想いがひしひしと伝わってきます

目を背けたくなる生々しさ

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ひめゆり隊は、自然の洞穴や防空壕の中を拠点に、戦傷者の看病にあたりました。一歩外に出れば、いつ撃たれ、爆撃されるかわからない。極めて危険な状況の中、敵の機銃照射や焼夷弾を受けて、亡くなった人々が沢山いました。

以下は、ひめゆり隊の女学生上原当美子さんの手記の一節です。

傷兵の傷はいっこうによくなっていくようすが見えないばかりか、栄養不十分と不潔、栄養不足のため日々衰弱してゆく。衣服が膿ですっかりぬれてくさり、そのうえシラミがあまい砂糖にたかるアリのように全身にわいている。とくに患部にはひどくウジまでもわいた。とってもとっても減りはしない。骨と皮になり目玉を大きく見はって息もとぎれとぎれになり身動きすらもできず。シラミ、ウジのかむにまかせてじっとしている患者も多くなった。

暗くジメジメして空気も悪いため、壕の中は非常に悪い衛生状態でした。連合軍が迫る中、壕の外へ物資を調達しに行くことも困難なため、医療品や食料が底を尽きかけていました。

「包帯を取り替えて欲しい」、「水が飲みたい」、「痛みをとって欲しい」。

自力で動く力も残っていない傷兵たちは、少女たちに必死に訴えます。しかし、できることなど殆どありません。「なんのための看護婦だ。君らも傷ついてみてよ」と言われ、上原さんは、自分の無力さに悔しい思いをしたと書き記しています。

精神に異常を来たし、裸体になり傷の痛さも知らず歩きまわってはひとりごとをいい、隣の患者の傷をうったり、ほうたいをとったりする者や、あちらでもこちらでも、どなっている者、うめく者、強いとばかり信じていた将兵も傷ついたら、こんなにまで意志が弱くなるものなのか、看護婦さん、看護婦さんと呼びつづけてばかりいる。

目を背けたくなるような状況の中、齢17前後の少女たちは自分たちの使命を果たそうと寝る間も惜しんで働き続けました。そして、アメリカ軍の攻撃によって、命を落としていきました。

「今のものさし」で沖縄戦は語れない

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昭和20年(1995年)6月になると、ひめゆり隊は軍部から解散命令を下されます。敵は目前に迫っており、もはやこれ以上の抵抗は不可能と判断したのです。

日本のために、どんなつらいことも耐えてきた彼女たちにとっては、「死の解散宣言」でした

壕の中にいれば銃撃を受けることはないけれど、敵はどんどん迫ってくる。かといって、一歩壕の外に出れば、艦砲の嵐の中を行くあてもなくさまようことになる。どちらも生存の可能性が低いことに変わりはありません。自分自信の決断が生死を左右するのです。

ひめゆり隊の少女たちは一所懸命傷兵の看病をしてきました。それにもかかわらず、解散宣言を下した日本軍。この話を聞くと、現代の多くの人が「少女たちが可哀想」、「日本軍は酷い」と口にします

しかし、もし彼らが「今の常識をもとに善悪を判断している」ならば、短絡的な意見であると言わざるを得ません戦時下では、あらゆる機関がマヒしており、「平時」と同じ冷静な手続きや判断をすることは困難となります。陥落寸前の沖縄で、当時の日本軍が思いつく選択肢は「解散するか」「全員玉砕するか」の二択でした。

結局、軍は、民間人と共に玉砕する選択はしませんでした。今後の運命を民間人の判断にゆだね、生き残れるかもしれない僅かな可能性に賭けることにしたのです。これが正しい判断だったのか、間違っていたのか、今の価値観で判断することは不可能だと思います

このように、今のものさしで沖縄戦を語ることは難しいのです。ただ、一つ断言できるのは、ひめゆり隊の悲劇を作り出したのは、「戦争」だということ。平和の大切さを理解している現代の私たちも、戦争の混乱の中では、これまでの常識が通じなくなるかもしれません。

もし、再び日本が71年前と同じような状況に立たされたら、何が起きるのか、我々はどうするべきなのか、回避するために何ができるのか。それを考えることが、本当の意味で平和を考えることではないでしょうか。71年前の戦争について当事者意識を持って考えることが平和な世界の実現への第一歩だと思うのです。

 

ひめゆりの塔をめぐる人々の手記

  • 著者:仲宗根 政善
  • 出版社:角川学芸出版; 改版
  • 発売日:1995/3/17

 

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モデルプロフィール

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名前:越智 遥
生年月日:1995/03/30
出身地:千葉県
職業:大学生
趣味・一言:趣味は博物館巡りです!渋谷のura庭というカフェでバイトしているので良かったら遊びに来てください
最近の悩み:ずっと眠い
Twitter:@i_am__jerry

(カメラマン・Rimi Sakamoto/個人サイト・http://www.rimisakamoto.net/

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本to美女選書

WRITERこの記事を書いた人

湯川 うらら

本to美女編集長 湯川うらら 麗らかな春の日に生まれました。「一瞬一瞬を全力で」がモットーの、本to美女編集長/インタビュアー/キャトグラファー。著者の半生から学び、登場人物の人生を味わい尽くす……「本」は、人類と共に時代を紡いできました。週1回はブックカフェに通い、気になる本を味見するのが楽しみ。実用書から漫画まで、守備範囲は幅広い。色々な人の話を聞いて、人生を豊かにしたい、誰かを幸せにしたい。 猫の島へ単独潜入するほど、生粋の猫好きで、SNSはネコ写真でいっぱい。一年中もふもふしていたい。