【戦後71年】日本の過去の戦争の歴史から未来を考える7冊特集

2016年5月27日、アメリカ合衆国の大統領のバラク・オバマさんが広島を訪問しました。核廃絶を訴えるため、現職米国大統領として初めて、原爆が投下された都市、広島を訪問したのです。これを機に、みなさんも過去の戦争の歴史から未来のことを考えてみましょう。

 

『禎子の千羽鶴』

アメリカ軍による広島の原子爆弾は、人類で初めて使われた核兵器でした。8月6日の広島の原爆投下では、爆発による爆風や火事などによって、約14万人の尊い命が奪われました。広島県出身の佐々木禎子ちゃんは1945年8月6日、原爆によって被爆し、放射性物質の含まれた「黒い雨」を浴びます。彼女は当時2歳でした。その10年後に原爆が原因で白血病を発症し、僅か12歳で尊い命を落としました。そんな彼女と折り鶴が織りなす、平和について考えさせられる作品です。

鶴に平和の願いを込めて『禎子の千羽鶴』

2016.08.17

『総員玉砕せよ!』

人間には生きる権利があります。死を強制されることなどあってはなりません。その「当たり前」を根こそぎ奪ったのが、約70年前の戦争でした。今回ご紹介するのは『ゲゲゲの鬼太郎』でも知られる国民的漫画家、故水木しげるさんの戦記漫画、『総員玉砕せよ!』です。

今死ぬか、戦って死ぬか『総員玉砕せよ!』

2016.08.15

『なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか』

太平洋戦争の開戦、間も無い頃は、「特攻は死ぬ気で挑むもの」、であって「死にに行くもの」ではありませんでした。しかし、敗戦色が濃くなると、「大きな成果をあげるには体当たりするしかない」と考えられるようになりました。昭和16年、知覧飛行場が完成すると、富屋食堂は軍の指定食堂になり、そこの女将、トメさんの人柄に、若い兵隊さんたちは、「お母さん」と呼び、慕いました。そんな彼女のお孫さん、鳥濱初代さんの著作『なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか』で当時の兵士がどんな思いで戦地に出向いたのかを知ることができます。

特攻兵たちが守ろうとしたもの『なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか』

2016.08.18

『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』

太平洋戦争(当時の大東亜戦争)における「沖縄」は、歴史的に特殊な場所だと言われます。なぜなら、現在の日本領土で唯一、地上戦が行われたからです。そんな激戦の中、一部の民間人は、日本軍と共に戦うことを志願しました。特に有名なのが、女子学生たちによって結成された「ひめゆり隊」です。今回ご紹介する仲宗根政善(なかそね・せいぜん)さんの『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』では、彼女らの受けた苦しみ、悲しみ、平和への想いがひしひしと伝わってきます。

沖縄で戦った少女たち『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』

2016.08.16

『ガラスのうさぎ』

今、日本人の約5人のうち4人は戦後生まれです。そして今存命でいらっしゃる戦争経験者のほとんどは、当時20歳以下の「こども」でした。71年前の子供たちは、戦争に対してどう思い、どのように戦時下を生きたのでしょうか。当時小学生だった「敏子」の目線から、「戦争が子供をどのように変えるか」を見ていくのが高木敏子さん著作の『ガラスのうさぎ』です。

戦時中のこどもたち『ガラスのうさぎ』

2016.08.19

『凍りの掌』

日本政府は8月15日を「終戦の日」と考えており、全国戦没者追悼式が行われます。しかし、1945年8月15日になった瞬間、これまでの激しく悲惨な戦いの残滓さえなく、すべてが元通りになったのでしょうか。終戦の日を迎えた瞬間、全ての日本人に「平和」が訪れたのでしょうか。そんなことはなく、終戦の日を迎えてもなお、「戦い」が続いていた場所が至る所にありました。その一つはシベリアです。漫画家のおざわゆきさんの『凍りの手』は父、小澤昌一さんの「シベリア抑留の体験」をコミックにしたものです。

シベリア抑留体験記『凍りの掌』

2016.08.20

『私は貝になりたい』

近現代では、大きな戦争が終わると「裁判」が開かれることがあります。戦勝国が敗戦国を裁く裁判です。第二次世界大戦で降伏した日本。戦争が終わると、連合国によって世界中で軍事法廷が開かれ、「戦争犯罪」を犯した日本人が裁かれました。その一人が『私は貝になりたい』の著者、加藤哲太郎さんです。「なぜ戦争は悪なのか」、「どうして戦争が起きたのか」、「なんで負けたのか」、「当時の人たちはどういう思いを抱えていたのか」ということを考えさせられる一冊です。

「戦争は犯罪」で終わってはいけない『私は貝になりたい』

2016.08.21

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