ハリネズミな大人たちへ『ハリネズミの願い』

 大人になれば、いろんなことを知る。

いろんなことを知っているから、様々な可能性を頭の中で考え、こねくり回し、何をするにも臆病になる。

特に、人間関係においては、それが大きな弊害となる。

子供の頃は、一度でも一緒に遊んでしまえば、それでもう友達だった。何も考えることなく、友達になれた。いい意味で、相手の気持ちを想像しないからだ。

大人になれば、相手の気持ちを勘ぐるようになる。仲良くしたくても、相手にどう思われるのかが怖かったり、自分なんか釣り合わない、拒まれるかもしれないとくじけたりすることもあるだろう。他人の心が恐ろしい。見えないものが恐ろしくなるのだ。

 

誰しも経験があるのではないか。

とっても楽しみにしていた出来事の最中、私たちは幸せな気持ちで満たされているはずなのに、心のどこかでその日の終わりとその後の日々を想像してしまって、未だ見ぬ憂鬱が心を襲う。

もし、私たちが子供であったら、そんな気持ちを微塵も感じることなく今を楽しんでいられるのだが、悲しいことに私たちは大人である。まだ先の憂鬱にまで思考が至ってしまう。

 

そんな見えないものへの悩みを持つ、ハリネズミの物語がある。

『ハリネズミの願い」だ。

児童文学ではない。大人たちに向けた物語だ。

ハリネズミの願い

  • 著者:トーン テレヘン (著), Toon Tellegen (原著), 長山 さき (翻訳)
  • 出版社:新潮社
  • 発売日:2016/6/30

 

 

ハリネズミは、どうぶつたちを自分の家に招待したいのだが、自分なんかのところに来てくれるのか、誰もこないのではないか、みんな自分のことを好いていないのではないか、などの悩みを抱え、手紙を書くかどうか迷っている。

しかし、その一方で、あのどうぶつは来てくれるのではないか、手紙を出して招待すればみんなくるのではないか、とどこかで肯定的な考えも頭をよぎる。

ハリネズミは、とにかく、ひたすらに頭の中で、もし自分が招待の手紙を書いたらどうなるのか想像し、手紙を書くべきか否か、招待すべきか否か、考えあぐねるのだ。

親愛なるどうぶつたちへ

ぼくの家にあそびに来るよう、

キミたちみんなを招待します。

 

ハリネズミはペンを噛み、また後頭部を掻き、そのあとに書き足した。

 

でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。

ハリネズミは冒頭に、このような手紙を書き、やっぱり出すのはやめようと思いとどまる。

私は、ハリネズミの気持ちが痛いほどわかる。

私と同じく、最後の付け足しに込めた想いがわかる人がいるはずである。

しかし、その一方でハリネズミは、こんなことも想像する。

「ところで近々、ハリネズミの家にあそびに行く予定はある?」

「いや、ないよ。キミは?」

「ぼくもない。招待されてないからね」

「ぼくもだ」

「残念だよね」

「ああ、とっても残念だ」

「招待されてたら行くのにな」

「ぼくも」

「ハリネズミしだいだよね」

「ああ。あいつがぼくたちを招待しないなら、ぼくたちのほうでも招待しないよね」

「そういうことだ」

これは実際にどうぶつたちが言ったことではなく、あくまでハリネズミの想像である。どうぶつたちがこう話しているのではないか、という想像。

きっと、これは正解である。自分が勇気を出して招待すれば、どうぶつたちは来てくれる。でも、招待しないから来てくれない。ただそれだけなのではないか。

ハリネズミは心のどこかではそういう考えも持ち合わせている。ほんとうはわかっているのだ。

しかし、そう踏み切ることはできない。自信がない。

悩んで迷い続ける。

しばらく寝そべっていることに決めた。起き上がったらまた考えはじめ、考えはじめるとまた迷いはじめてしまうからだ。いつもそうなのだ。ハリネズミはためいきをついた。もしかしたらぼくはハリよりも多い<迷い>をもっているのかもしれない。

ハリネズミの心は大人なのである。難儀なものだとつくづく思う。

挙句には、自らの劣等感から、自分は誰にも望まれない、と思い、こんな手紙も考えるのだ。

親愛なるどうぶつたちへ

キミたちのだれかは

近々、ぼくのところにあそびに来る計画を

立てているかもしれません。

(中略)

その計画は実行しないでください。

ぼくはいっしょにいて楽しいどうぶつではないので。

ぼくにはハリもついているし、

なんの話をすればいいかもわからないし、

踊ることも歌うこともできません。

ぼくの淹れる紅茶は自分でもまずいと思うし、

戸棚にはいってるケーキは古くて灰色をしています。

自分のことをつまらないヤツだと思っています。

ぼくはつまらないヤツなんです。

だから来ないでください。

 

ハリネズミ

このハリネズミは、いじけているのだ。

こうやって書いたら、誰かが自分のことを気にかけてくれるかもしれない。

自分が誰かと仲良くなりたいと考えたとき、人と比べる。彼には他の友達もいるし、自分には何の取り柄もない。誰が自分なんかを好きになるのだろう。誰にも望まれていない。いらない存在なんだ。

なぜか、決定的な出来事があったわけでもなく、勝手に自分の頭でそう結論付け、劣等感を抱くことがある。

 

しかし、それを、自分以外に伝えると言うことは、心のどこかで、まだ人に期待しているのである。

SNSでこのような光景が見られるだろう。

誰かに慰めて欲しい。劣等感を否定してほしい。

そして、何より、自分を見てほしいのである。

でもこんな手紙をもらったら、かえってみんなが押し寄せることになりはしないか?

しかし、実際は、その真逆であることが多い。

悲しくも事実なのは、誰も自分を気にかけてなどいないということだ。仲良くもないのに、自分の劣等感を慰めてくれる人などいない。声をかけてすらもらえない。そもそも、そのような人がいれば、自分はこのような悩みを抱えていないのだから。

 

ほんとうに望むならば、自ら行動しなければならないのだ。

頭の中でこねくり回したって落ち込むだけである。

そうして生まれた劣等感を人に話して見たところで、煙たがられるだけなのである。

 

安心してほしい。この世にいるすべてのハリネズミ。

君たちを愛してくれる人はどこかにいるはずだ。

今はそばにいなくとも、君が行動すれば、必ず見つかるはずだ。

この物語のハリネズミのように。

 

見えないものを恐れずに。

きっと君が想像しているよりも、他人の心はやわらかい。

ハリネズミの願い

  • 著者:トーン テレヘン (著), Toon Tellegen (原著), 長山 さき (翻訳)
  • 出版社:新潮社
  • 発売日:2016/6/30

モデルプロフィール

  • 名前:小林真琴
  • 生年月日:1989/02/05
  • 出身地:秋田県
  • 職業:フリーモデル、ブロガー
  • 趣味:ソフトテニス、ライブ鑑賞、カラオケ、メイク
  • Twitter:@maccori_1
  • Instagram:maccori1
  • Blog:まっこりのにこにこぶろぐ

(カメラマン:伊藤広将)

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WRITERこの記事を書いた人

きりゅう

大学一年生。幼い頃から空想家。 どんなジャンルの物語もすき。小説を読むときは、ひたすらに心に響く言葉を探している。何でもない一節に惹かれることが多い。 映像や文章に加え、車や雑貨、服装まで、古き良き時代のものに惹かれる節がある。 自分の言葉で人の心を揺らしてみたい。