淀どの日記
- 著者:井上 靖
- 出版社:KADOKAWA / 角川書店
- 発売日:2013/2/25
日野富子、北条政子、淀殿。
日本三大悪女と呼ばれる三人。
淀殿はそのうちの一人だ。
父・浅井長政や、母・お市の方の仇でもある豊臣秀吉の側室になり、豊臣秀頼を産むと権勢を誇るも、大阪の陣では戦い方にまで口出しして徳川家康に敗れ、豊臣家を滅亡に追い込んだ。
淀殿は、本当に悪女であったのか。実際は、歴史に翻弄された戦国女性としての代表格とも言える。
波乱の幼少期

淀殿は生まれながらのお姫様であった。プライドが高く自己中心的でワガママ。
母・お市は絶世の美女であり、娘の淀殿もまた美女であった。
性格からして、周りから煙たがられていた。
淀殿は幼い頃、父・浅井長政を叔父・織田信長に殺されるという悲劇に見舞われる。
それを近くで見ていた淀殿は、どう受け止めたのか?
まだ幼い少女には、ほとんどわからなかっただろう。だが、少なくとも憎しみは抱いた。世に不条理があると痛感させられた。
淀殿は、幼い頃から身内すら信用できなくなってしまう。
さらに、少し前まで織田家で味方と思っていた秀吉に攻められ、義父・柴田勝家、母・お市を殺されてしまう。
二度の父の自刃、母の死と、幼い頃から深い悲しみが積み重なっていく。
そして、妹のお初やお江の母代わりという立場にもなり、まさに子供のうちから長姉として、姉妹の命をも左右する判断が求められ、早くから波乱万丈の人生であった。
その後、秀吉に見初められ、側室となる。
そして母を殺した男の妻となる。
激闘の大阪の陣

自らは仇とも言える秀吉の側室になる。復讐をしようと思ったが子を身ごもってしまう。
だが、チャンスが生まれた。
当時の女性として最高権力を手に入れることになる。
「この子を天下人にすることで、父、母、義父らの無念を晴らせるかもしれない。いや、晴らす!」
淀殿にとって、息子・豊臣秀頼が唯一の希望であった。
息子・秀頼が誕生する。だが、その矢先、家康は江戸幕府を開いた。
秀頼に臣従を求める家康。これを拒否する淀殿。
「そのようなことを余儀なくされるならば、息子を殺して私も死にます」
家康がいる限り、息子の天下はない。無念を晴らすには、秀頼の後見人として、豊臣家の主導権を握り、徳川家に対抗するしかない。
こうして、大阪の陣が勃発する。
淀殿の心の中に渦巻く、悲しみや憎しみという言葉では言い尽くせないねじ曲がった感情が、人生最後を遂げる大阪夏の陣へと導いていった。
淀殿は自ら大阪城内で兵を鼓舞し、戦略にまで口出しした。戦で初めて閲兵・督戦を行う。これまでに積み重なった怨恨が突き動かす。
慣れない指揮のせいか、兵たちに動揺が見られた。それでも檄を飛ばす。
「豊臣の誇りを取り戻すなら!これまでの屈辱を晴らすなら!今、徳川に一矢報いるのよ!それしかないのよ!」
しかし、援軍もないまま家康軍の砲台が整列している。放たれる砲撃。崩れ去る大阪城。
砲弾が飛び交う轟音の中、淀殿に走馬灯が駆け巡る。
幼くして両親、義父、信頼していた者を殺され、仇である男に尽くさなければならない日々。
やっとのことで解放され、ようやく自分の天下が見え始めたのに。
怨嗟と希望が詰まった城が崩壊していく。こんな私に従いてきた兵が飛ばされる。
これ以上、死なせるわけのはいかない。せめて、希望である息子だけでも生き延びさせねば。
淀殿は、徳川に降伏した。
しかし、翌年に再び家康は大坂城を攻める(大阪夏の陣)。劣勢を挽回ができず落城。あえなく秀頼と共に自害した。
大阪城が落城する際、淀殿と秀頼が降伏すれば、命だけは助けられる可能性は十分にあった。
しかし、家康に屈服することはせず、武家の娘として、豊臣家としての「誇り」を保つため、淀殿は秀頼と共々自刃する道を選ぶ。
幼い頃から始まった不遇な環境の中でも己を見失わず、どこか覚めた目で局面を見据え、選択肢の限られた中でも、激情にかられながらも誇りを失わずに凛としていた人柄が、物語から伺える。
信長、秀吉、家康と戦国の武将たちにより翻弄された淀殿。彼女は悪女ではなく、「悲運な女性」だったのかもしれない。
淀どの日記
- 著者:井上 靖
- 出版社:KADOKAWA / 角川書店
- 発売日:2013/2/25
モデルプロフィール

- 名前:川奈部舞
- 生年月日:1996/7/18
- 出身地:埼玉県
- 職業:埼玉大学
- 受賞歴:Saidai Collection 2016
- 趣味:読書
- 最近の悩み:時間が足りない!!
- Twitter:@mmmai3024
- Instagram:@mai_kwnb
(カメラマン:伊藤広将)
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