平塚らいてうが『青鞜』を通じて呼びかけた女性の自由

十八世紀、ロンドンの女性作家たちが「青い靴下」を履いていた。その時期は男女差別が根強く残っており、差別的な男性たちは彼女らのことを「ブルーストッキング」と呼んでいたそうだ。

―それから2世紀経過した1911年。ブルーストッキングの名前を象った『青鞜』という雑誌が、初めて日本で発行された。雑誌を通じて呼びかけたのは「女性解放」。古くから日本社会に存在している男尊女卑や、「女性は家で家事をしなければならない」という価値観、さらには男性と女性の教育が異なるなどの、幾多の男女の価値観を打ち破ろうとして創刊されたのが、今回紹介する『青鞜』である。

青鞜の時代―平塚らいてうと新しい女たち

  • 著者:堀場 清子
  • 出版社:岩波書店
  • 発売日:1988/3/22

戦前戦後に渡る女性解放運動家平塚らいてう

創刊にあたり、リーダーとなったのが平塚らいてう。戦前と戦後に渡る女性解放運動家として知られている。

平塚は国粋主義の父親に、東京女子高等師範学校附属高等女学校(現在のお茶の水女子大学付属中学校・高等学校)に入学させられ、「女性らしさ」を無理やり学ばせられた―本当は男性と同じように英語や漢文などを学びたかったのだが、家政ばかりを学ばされて「こんなものではあってはならない」と一念発起したのである。

「女性らしさ」の教育への違和感


卒業後、女性を「人」として男性と同様に学問を修めることができる日本女子大学校家政学部に進学したものの、日本の軍国主義の機運に呑まれ、大学でも「女性らしさ」の教育を施されて気落ちした。

結局は日本女子大学校を卒業したものの、その後も漢学や英学を自ら学びに行き、そして文学との出会いが彼女の人生を一変させる。課外で開かれる文学講座で翻訳家の森田草平と出会って二人は恋仲に落ちる。ところが初デートの矢先、塩原の山の中で平塚は救助され、そのことをマスメディアは面白おかしく書きあげたのである。この事件は「塩原事件」として知られている。

塩原事件をきっかけに、女性に対する蔑視に課題意識を持った平塚は、抑圧された女性の解法を目指して、生田長江の助言の下、『青鞜』の出版に取り掛かる。平塚の同級生もプロデュースにかかわり、1911年9月に『青鞜』はついに連載を開始した。

元始女性は太陽であつた

青鞜の創刊の辞として平塚が寄せた有名な言葉に「元始女性は太陽であつた」があるが、個人的には私は、与謝野晶子が寄せた『山の動く日来る』の一節、「そぞろごと」が好みである。女性の男尊女卑に必死に耐えまくり、ついに耐え切れなくなった女性の怒りを、「山の動く日」として表現したことにはつい身震いが起きる。以下引用である。

山の動く日来る。

かく云えども人われを信ぜじ。

山は姑く眠りしのみ。

その昔に於て

山は皆火に燃えて動きしものを。

されど、そは信ぜずともよし。

人よ、ああ、唯これを信ぜよ。

すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。

 

一人称にてのみ物書かばや。

われは女ぞ。

一人称にてのみ物書かばや。

われは、われは。

もちろん『青鞜』の創刊によって、平塚たちに数多くの批判がよせられた。時には平塚の実家に石を投げつける暴力的な人間が出現したり、『青鞜』に触発されて女性解放を訴える女性のことを「新しい女」と蔑視する者も生まれた。

だが、平塚たちの男女の差別的、蔑視へ一石を投じた運動の数々は、確実に男女の隔たりを埋めるための現代の議論にまで引き継がれていると言えるだろう。ジェンダー論に関心を持つ者は、現代書籍を読むのもいいが、女性蜂起の黎明期である古典を読むのもたまにはいいかもしれない。

青鞜の時代―平塚らいてうと新しい女たち

  • 著者:堀場 清子
  • 出版社:岩波書店
  • 発売日:1988/3/22

モデルプロフィール

  • 名前:川原あやか
  • 生年月日:1993/11/16
  • 出身地:福岡県
  • 職業:会社経営
  • 趣味:ディズニーランドに行くこと
  • Twitter:@ayacho1116
  • HP:giselle-design.com

(カメラマン・伊藤広将)

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