ファミリア創業者 坂野惇子 – 「皇室御用達」をつくった主婦のソーレツ人生
- 著者:中野明
- 出版社:中央公論新社
- 発売日:2016/9/16
ある人は、「わがままな奥様連中のお仕事だから一年以上は続かないだろう」と噂した。
しかし、それが宮内庁御用達、世界に名を轟かせる企業に成長する。
子供服メーカー「ファミリア」
日本製品が粗悪品の代名詞だった時代に良質な子供服を作り続け、皇室御用達ブランドとまでなった。
2016年度後期に放送の第95作目となるNHK連続テレビ小説である『べっぴんさん』。
このモデルになったのが、フェミリア創業者「板野惇子」だ。
ファミリアを創業したのは板野淳子含め、四人のお嬢様たちだった。その中で一番の功労者が板野淳子だ。
深窓の令嬢として育ち、商売にはまったく縁のなかった主婦・板野淳子が、ファミリアという「世の中になくてはならない企業」を作り上げたその生涯をご覧に入れたい。
戦争の混乱の中で

父はレナウン(アパレル企業で有名)創業者で貴族院議員を務めた。惇子は名家の令嬢であった。世間をあまり知らないなかで結婚する。
順風満帆な生活を送っていたが、戦争に巻き込まれてしまう。
夫はジャカルタに出兵。惇子は神戸大空襲などもあり、岡山へ疎開し、そこで終戦を迎えた。
終戦後、世情が一変し、預金封鎖や富裕層への課税などを受ける。これにより、莫大な資産があったが、引き出すことができなくなってしまった。
惇子は一気にドン底に突き落とされる。
生活のあてもなく途方に暮れていた時に、幼馴染の尾上清から思いがけない言葉をかけられる。
“「今までとは違うのですよ。もう昔のお嬢さんではいけない。自分の手で仕事をし、自分の手で生きていく。一労働者になりなさい。働く気になったら、出ていらっしゃい。生地でも売る仕事をつくってあげましょう」”
尾上の強い言葉に驚く惇子は、働きに出ることを決意する。
誕生と躍進

フェミリア創業のきっかけは、ハイヒールと手作りの写真ケースであった。
父が軽井沢の別荘を手放すことになった。
惇子はお金を工面するために、別荘にある荷物を引き取りに行く。荷物の中には、惇子が戦前から貯めていた外国製の生地や毛糸のほか、一度も履いていなかったハイヒールなどがあった。
別荘で手芸の材料を手に入れた惇子は、親友・村井ミヨ子(後のファミリア創業者の一人)の頼みもあって、週一回、自宅で手芸のお稽古を開催するようになる。
しかし、依然として生活の苦しい惇子は、身の回りの物を売って食料を買う「売り食い」を続けていた。
別荘から持ち帰ったハイヒールを売却するために靴店「モトヤ靴店」を訪れ、店主・元田に「他の人に売って欲しいの」と頼む。
ハイヒールを見た元田は「苦しいでしょうが、これだけは売らないでください。これはお嬢さんのために作った物です。」
実は、このハイヒールは、元田が惇子の嫁入り道具の一つとして作った物だった。
困った惇子が話題を変えるために、ハンドバックから娘の写真が入った写真ケースを見せた。
このハンドバックや写真ケースが元田の目に止まった。
「この写真ケースは綺麗ですね。どこで買われたのですか」
「私のお手製よ。ほら、これも!」と、惇子は持っていた手提げ袋も見せた。そこにはカトレアの花が大きく立体的にアップリケされていた。
これに感心した元田は提案した。
「ほう・・・大したものですね。そうだ、こんな手仕事の物を作ってお売りになったらいかがですか。うちの陳列ケースを提供しますよ」
思わぬ好意的な提案に、惇子は感涙しながら申し出を受けた。
当初は単なる手芸店を開く予定だったが、父と夫の助言により、これまでに学んだ西洋式の育児法を生かし、どこにも売っていないような特別な商品(べっぴんさん)を作るベビーショップを開くことになった。
これが後のファミリアの原点である。これから板野淳子含め、四人のお嬢様たちが、ものづくりに奮闘する日々が始まる。
ファミリア創業者 坂野惇子 – 「皇室御用達」をつくった主婦のソーレツ人生
- 著者:中野明
- 出版社:中央公論新社
- 発売日:2016/9/16
モデルプロフィール

- 名前:原口未帆
- 生年月日:1994/5/12
- 出身地:三重県
- 職業:首都大学東京
- 受賞歴:首都大学東京ミスコンテスト2016ファイナリスト、ミスサークルコンテスト2017 グランプリ
- 趣味:バイク
- 最近の悩み:忙しくて友達とあまり遊べていないこと
- Twitter:@mihoharaguchi
(カメラマン:伊藤広将)
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